千日回峰行
比叡の山は男の山という感がした。1200年の昔は女人禁制の山だと言った。現在は観光バスやマイカーからどっと流れるように老若男女が出てきて、それぞれのコースをたどっているようである。
男の山の延暦寺は厳しい行が行われている。私は国法の仏像も御目通りをしたいが、興味は人間そのもので荒行そのものが知りたい。 千日かけて地球一週分を礼拝して歩くその人達の心に振れたいと思う。 荒ぶれた山に凄まじいまでの命がけの修行が行われて、山の至る所のお堂や草木一本、石の仏にも礼拝をする。毎日毎日祈りが無ければならない山なのかもしれない。
最澄の開いた草庵で学んで独立していった日蓮も、法然も、親鸞も、いずれの宗教も元はここだと聞けば広大無辺の言葉が分るような気がする。私はたった一日ではあったが、なぜか願い事などをしたく無かった。それよりも不思議な気に包まれて、自分の身を山にゆだねて居るような気の安らぎを感じた。ただ、そこに居るだけで充分であった。
昔、宮沢賢治も千日回報行の行者さんをみて風のように去ってゆく姿に、行者の内容を知りあの有名な詩が生まれたという。(雨にも負けず、夏の暑さにも負けず、)は行者さん達の姿だと言われて納得である。
延暦寺、命かけての 行あり 阿闇梨が放つ 加護をいただきて
凄い山に今日も思いを忍ばせてあれやこれや仏の姿を思い描いている。
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