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大分で仕事

40年ぶりに九州へ渡った。

先生こちらは初めてですか?と聞かれていいえ、一度地獄めぐりをした事があります。 と そういえばあれは中学生の頃の事で、修学旅行でした。

池の中から大きなわにが顔を出すのを怖くてキャーキャー騒いだのだろうな。思い出すのは赤い池の中の会った事ぐらい。  もうかれこれ40年以上前のことです。

飛行機に乗り、船に乗り、バスに揺られて ついた時は遠いところへ来た感じがしたが、方言にも出会わずに移動する事が旅のような一日でした。

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お別れの会

あれから、由美さんの家族があわてながら様々な準備をして日曜日の午後1時お別れの会が行われた。  仰々しい祭壇もお経もなく、カスミソウの花に埋もれて写真が飾られ、静かに生前好きだった歌が会場に流れた。香典もお花代もさりげなく遠慮を強要していた。

参加した人たちも、彼女と交流のある人たちだけが集まった。祭壇に飾られた写真を見ながら、白いカーネーションを旅立ちにみんなが添えた。

ご遺族の挨拶の時にご主人は、涙をこらえながら、関わりのあったそれぞれの人たちにエーピソードを交えて挨拶をした。

物静かで無骨な感じのする彼は、最後に二人の馴れ初めはダンスパーティで踊ったのがきっかけでした。 と話し40年連れ添った妻がいなくなる事はこんなに空虚な思いになるのかと涙混じりに締めくくり、みんなの涙を誘った。

二人の最近の様子からは思いもかけないロマンが潜んでいた事に彼女は幸せだったと知り私は安心した。すべてにさりげなく、そして心和やかで、やさしい延べ送りであった。私も旅立ちの日は、こんな風にゆったりとやさしい別れをしたいとしみじみ思った。

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空亡の年の空亡の月

彼女は私と同じ七赤金性、今年の一月は空亡の最後の時の空亡月であった。

一番寒い日の夕暮れ時の七赤の時間に、天に召されて逝った。訃報を旅先で知り 最後の顔を見ることは出来なかった。

半年前に大腸がんで入院して、後一年ぐらいと医師には宣告されていた。 私と同じ七赤なのに言葉が少なく、表現はうまくなかったが 真実があった。カダケスをオープンさせた頃(オーラの写真)を取る事になり誘ったら遠い所から来てくれたが、あの時の写った写真に兆しが見えていた私たちだったのに。

最後に会ったのは、やはりカダケスの一周年記念のパーティだった。静かに一人で微笑んでいた姿が心に残る。 病院にも行けず、私が送った激励のはがきを最後の日々に読んでいたと聞くと 彼女との数少ない日々が思い出される。

 たった一つ心残りだったろう息子さんの事は引き受けたよ// と 今日はお香をたいて彼女を偲んでいる。

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新年明けましておめでとうございます

平成21年の幕開け、新年おめでとうございます。

暦上では2月の立春から翌年の節分までを一年と定めております。   今年は復活の一年そして、捲土重来の年です。

経済の悪化の幕開けですが、必ず出口が見つかるはずです。どうかどんな状況であってもどんなに苦しくても希望を見失わない人が勝利を得ます。 ニュースや世間の風に流されないようにしましょう。

カダケスではおみくじつきの根付けをプレゼント中です。スタッフ一同皆様をお待ち申しております。新年の計画を立て一度お越しくださいね。

今年も皆様がお元気で希望あふれる一年でありますように//

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